インド象の象牙は、なぜ最上とされてきたのか

インド象の象牙の印材

「唐方」と呼ばれた象牙

インド象の象牙は、日本の象牙産業のなかで長く「唐方(とうかた)」と呼ばれてきました。唐、つまり大陸を経てもたらされた牙、という意味です。呼び名が残っているということは、それだけ長くこの国で扱われてきたということでもあります。

いま、インド象の象牙が新しく市場に出ることはありません。国内にあるものは、規制が始まる前に入ってきた牙だけです。「幻の象牙」と呼ばれるのは、希少さを煽る言葉ではなく、単純に、もう増えないからです。

入り口は、1975年に閉じた

「幻の象牙」と呼ばれる理由は、はっきりしています。

ワシントン条約で、インド象(アジアゾウ)は条約が発効した1975年に、商業目的の国際取引が禁止される附属書Ⅰに掲載されました。アフリカ象が同じ附属書Ⅰに入ったのは1990年です。

その差は、15年あります。

つまり日本にあるインド象の象牙は、1975年より前に入ってきたものだけです。アフリカ象より一世代古く、そもそも入ってきた量が違います。

そのうえインド象は、象そのものの数が少なく、牙も小さい。明治から大正にかけての象牙彫刻の最盛期には、細工物の多くがこの牙で作られていたと伝えられていますから、その時代にすでに相当量が使われたことになります。

評価が先にあって、あとから希少性が重なりました。良いとされてきたから手に入らないのではなく、良いとされてきたものの入り口が、半世紀前に閉じたということです。

象は、仏教とともに日本へ来た

インドは仏教が生まれた土地です。そこに生きる象は、教えのなかで特別な位置を占めてきました。

知恵と慈悲を象徴する普賢菩薩は、象に乗った姿で描かれます。釈迦の母が、白い象が胎内に入る夢を見て釈迦を身ごもったという話も伝えられています。象は「八大吉祥」の一つとして、繁栄と忍耐、そして安定の象徴とされてきました。

仏教が日本に伝わったとき、象そのものは来ませんでした。けれど象の像は来ました。実物を見たことのない生きものを、日本人は経典と彫刻を通して知り、縁起の良いものとして受け入れてきたわけです。

そして仏教には、命をいただくという考え方があります。食事の前の「いただきます」は、その名残です。象牙は、その言葉が指しているものそのものです。

アフリカ象とは、色が違う

象牙と一口に言っても、アフリカ象とインド象では素材としての性格が違います。

 

インド象 アフリカ象
色合い 黄色味を帯びた、温かみのある色 白が強い、涼しげな色
硬さ やや柔らかく、粘りがある 硬質
質感 滑らかで、しっとりした光沢 艶やかで、輝く光沢

どちらが上ということではありません。ただ、日本では長らくインド象の色が好まれてきました。黄色味を帯びた温かみのある色は、日本人の肌の色に馴染みます。手に持ったときに浮かない、という言い方のほうが近いかもしれません。

硬さの違いは、彫る側からするとはっきり分かります。インド象は粘りがあるぶん刃が入りやすく、細い線を出しやすい。硬ければ良いというものではないのです。

具体的な表現は非常に難しいのですが、とにかく滑らかで、刃物が滑るように通ります。アフリカ象の極上材は硬さと緻密さを伴うため、力と道具を必要とします。対してインド象は、力と道具を必要としなくても、彫り手の意図通りに刃物が進んでいきます。古来、象牙の細工物の多くはほとんどインド象が使われていましたが、理由は明白で、加工しやすいからなのです。

緻密な彫刻を施すにおいて象牙の右に出る素材は他に見当たりませんが、インド象のそれは、もはや別次元の境地と言っても過言ではないでしょう。

太陽の輪──横目芯持ちという特別

横目芯持ちの断面。中心の芯から縞模様が放射状に広がる「太陽の輪」

象牙は普通、牙の長さに沿って縦に切り出します。これに対して「横目」は、牙を輪切りにした面から取ったものです。輪切りにすると、年輪のような同心円の模様が現れます。

そのうえで、牙の中心にある芯が印材のちょうど真ん中に来ているものを「芯持ち」と呼びます。芯を中心に、縞模様が放射状に広がる。その姿が太陽に似ているため、古くから「太陽の輪」と呼ばれ、縁起物として珍重されてきました。

一本の牙から縦に取れば何本も取れますが、横目は輪切りにした一枚からしか取れません。そのうえで芯が中央に来ていて、模様が均等に広がっているものとなると、数はごくわずかです。

アフリカ象の横目芯持ちでも滅多に見ることのできない貴重品であるにも関わらず、インド象の希少性は、これまでの内容からも、別格であることがお分かりになると思います。
実は私自身もインド象の横目芯持ちは知識と経験上持ち得なかったのですが、お客様からのお問い合わせによって物理的に可能であること、そして実際に職人さんに確認してみると、存在することを知り得ました。

そして現在、その一本が鈴印にあります。

在庫は多くありません。いまお出しできるものはインド象の一覧でご覧いただけます。

【インド象(横目芯持)】60×18ミリ/KFワニ革/実印

使うほどに、印影が深くなる

象牙が印材として選ばれてきた理由は、見た目だけではありません。

象牙の内部には、象牙細管と呼ばれる細い管が無数に走っています。この構造が、朱肉の油分を適度に吸います。押すたびに朱肉が馴染み、年を重ねるほど印影が鮮明になっていきます。手の脂も同じように入っていくので、色にも深みが出ます。

新しいうちが一番きれいな道具ではない、ということです。買った日より、十年使った日のほうが良い。印章がしばしば親から子へ渡されてきたのは、そういう性質の道具だからでもあります。

この牙を選ぶということ

インド象の象牙は、もう増えません。いま国内にあるものが、そのまま残りの全部です。

だからこそ、一本を選ぶときには、等級や寸法だけでなく、その牙がどこから来て、どう扱われてきたのかまで見たうえで決めていただきたいと思っています。

象牙の一本一本は、遙か昔にいただいた命です。その命の価値と尊さに共感いただける方の手に渡ることを、心から願っております。

 

等級ごとの違いと価格の目安は、象牙の品質の見分け方にまとめてあります。実物をご覧になりたい場合は、象牙印鑑の選び方から、ご来店とご相談の方法をご案内しています。

インド象の在庫はインド象の一覧に、横目・日輪(アフリカ象)はこちらの一覧にまとめています。

では、その良し悪しを実際にどう見極めているのか。仕入れの現場と、彫り手の手元の話を象牙の印材は、どうやって見極めているのかに書きました。