象牙はいつから日本にあるのか──正倉院のものさしから印鑑まで

鈴印は、三代にわたって象牙の印鑑を彫ってきました。象牙は、彫ると他のどの材料よりも高く、大きな音がする素材です。その象牙が、日本でいつから、どのように使われてきたのか。このページでは、残っている品と記録を古い順にたどります。

象牙が日本にもたらした仕事は、細工物、彫刻、そして印鑑へと形を変えてきました。どの時代の職人も、限られた象牙を大切に使ってきたことが、記録から見えてきます。

奈良時代──正倉院に残る、象牙のものさし

赤く染めた象牙の物差しのイメージ

※画像はイメージです

日本に残る最も古い象牙の細工の一つが、奈良の正倉院に伝わる「紅牙撥鏤尺(こうげばちるのしゃく)」です。紅牙撥鏤尺は、奈良時代に使われたといわれる、象牙のものさしです。

職人は、象牙を赤く染め、その表面を撥ね彫り(撥鏤)という技法で彫って、文様を表しました。東京国立博物館にも、正倉院の物によく似た紅牙撥鏤尺(法隆寺献納宝物)があり、その写真はe国宝(紅牙撥鏤尺・東京国立博物館)でご覧いただけます。

ものさしは、暮らしのなかで使う道具です。奈良時代の人は、その道具に象牙を選びました。そしてその象牙のものさしが、いまも形を保って残っています。

象を見たことのない時代の「きさのき」

白い象に乗る普賢菩薩のイメージ

※画像はイメージです

『日本書紀』には、象牙を「きさのき」と読む言葉が出てきます。日本の古い言葉のなかに、象牙はすでに名前を持っていました。

平安時代の中ごろに作られた辞書『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』は、象を「似水牛、大耳長鼻、眼細牙長者也」と説明しています。水牛に似て、耳が大きく鼻が長く、目は細く牙が長い、という意味です。

当時の日本に、生きた象はいませんでした。象の姿は、経典や仏像を通じて大陸から伝わったと考えられます。仏教では、釈迦の母が白い象の夢を見て釈迦を身ごもったと伝えられ、普賢菩薩は白い象に乗った姿で表されます。日本人は、象を縁起の良い生きものとして、まず教えのなかで知りました。

江戸時代──寺町通りの「角細工」と根付

象牙の細工が伝統工芸として産業になったのは、江戸時代からといわれています。

元禄3年(1690年)に出た絵入りの風俗辞典『人倫訓蒙図彙(じんりんくんもうずい)』には、「角細工(つのざいく)」と呼ばれる職人が出てきます。同書によると、角細工の職人は寺町通りなどに住み、さまざまな象牙の品を作っていました。

同じ本には、職人が象牙を鋸(のこぎり)で切っている図があります。図のまわりには、三味線の撥や琴柱(ことじ)とともに、輪切りにした象牙、丸い環の形、六角形、小さな断片が描かれています。撥や琴柱と並んで、輪切りや小さな断片まで描かれているところに、象牙を余さず使っていた様子がうかがえます。この図は掛け軸として、たばこと塩の博物館に収められています。

全形牙と切り出した象牙のイメージ

※画像はイメージです

江戸時代の象牙の品で、いまも広く知られているのが根付(ねつけ)です。根付は、印籠や巾着の紐の先に付けて帯にかける留め具です。職人は、手のひらに収まる小さな根付のなかに、一つの世界を彫り込みました。根付は道具でありながら、その技の細かさで美術品として見られるようになりました。

明治時代──海を渡った象牙彫刻

象牙彫刻のイメージ

※画像はイメージです

明治時代に入ると、日本人の服装は洋装に変わりはじめ、帯に下げる根付の出番は減りました。それでも、根付を彫ってきた職人の技は途切れませんでした。職人たちは、その技を象牙の彫刻品に向け、数多くの作品を生み出しました。

ヨーロッパには、象牙彫刻の長い伝統があります。そのヨーロッパで、日本の象牙彫刻は高く評価され、明治の象牙彫刻は輸出産業として花開きました。いまも大英博物館やメトロポリタン美術館には、日本の象牙の根付が収められています。

明治から大正にかけての象牙彫刻には、インド象の象牙が多く使われました。日本の象牙の世界では、インド象の象牙を「唐方(とうかた)」と呼びます。唐方は、硬さとしなやかさを併せ持ち、細かな彫刻にいちばん向くとされてきました。

象牙の歴史のなかで、印章は新しい分野です

ここまでの流れのなかに、印鑑はまだ出てきません。仕入先の職人によると、象牙の印章は江戸時代以降に生まれた、象牙の使い道のなかでは新しい分野です。ものさし、撥や琴柱、根付、彫刻と続いてきた象牙の仕事に、あとから加わったのが印章でした。

象牙の印章は、ほかの象牙の品とは使われ方が違います。持ち主は、実印や銀行印として何十年も同じ一本を押し続け、その一本は次の世代に受け継がれることもあります。象牙の印材は、硬さと粘りを併せ持っているので欠けにくく、長く使うほど朱肉がなじみます。一本の象牙の印材が、持ち主の一生を越えて働き続けます。

鈴印は1932年(昭和7年)の創業から三代にわたって、象牙の印章を彫ってきました。

彫り手として象牙の一番の魅力を伝えますと、実は音なんです。他のどの材料よりも音が高く、かつ大きい。私の祖母は、祖父や父が象牙を彫る音を聞いて「いつ聞いてもいい音だね〜」と感心していたそうです。

1975年と1990年──入り口が閉じたあと

ワシントン条約は、1975年にアジア象(インド象を含む)の象牙の商業目的の国際取引を禁止しました。アフリカ象の象牙が同じ扱いになったのは、1990年です。

その結果、インド象の象牙が日本に新しく入ってくることはなくなりました。印鑑に向くアフリカ象のハード材も、いま国内にあるのは、禁止より前に日本に入ってきたものだけです。

鈴印は、国の登録を受けた事業者として、決められた手続きを守って象牙を仕入れ、販売しています。規制の中身や登録のしくみは、象牙は合法なの?にまとめています。

古い全形牙を両手で持つ職人

象供養──「いただきます」と同じ気持ちで

東京の象牙の組合である東京象牙美術工芸協同組合は、毎年、象供養を続けています。組合は、象への感謝を込めて、象の安らかな眠りを祈っています。

日本人は、食事の前に「いただきます」と言います。人は、動物や植物の命をいただいて生きています。象供養も、その「いただきます」と同じところから出ている習わしです。象牙を扱う職人は、象が残した象牙を余すところなく使い、新しい品に仕立てることで、その命に応えてきました。

象の命を最後まで生かす方法は、新しい品に仕立てることだけではありません。

鈴印では新しく仕入れた象牙だけでなく、ご先祖様がお使いの印材の彫り直しも行っています。これは命を大切にするだけでなく、ご先祖様がその印と共に行ってきた大切なご決断を継承する考え方に根付いています。

彫り直しの詳細はこちらから

いただいた命を、大切に

正倉院のものさしは、奈良時代からいままで残っています。江戸の角細工の図には、撥や琴柱と並んで、輪切りや小さな断片まで描かれています。明治の職人は、根付の技を彫刻に生かしました。日本の象牙の歴史は、限られた象牙を、時代ごとの職人が最後まで使い切ってきた歴史です。

象牙の印鑑は、その流れのいちばん新しい形です。一本の象牙の印材は、何十年と押され続け、世代を越えて受け継がれます。印章彫刻師が象牙を彫ることは、象からいただいた命を、最後まで生かしきる仕事だと鈴印は考えています。

いただいた命を、大切に。鈴印は、その考えで象牙を彫り続けます。

インド象の象牙「唐方」が、なぜ最上とされ、なぜいま手に入らないのかは、こちらに書いています。
インド象の象牙は、なぜ最上とされてきたのか

鈴印がいちばんにおすすめしている等級は「極上」です。極上の象牙で作る実印は、こちらでご覧いただけます。
象牙の実印(極上)

参考:紅牙撥鏤尺・東京国立博物館(e国宝)/和名類聚抄(文化遺産オンライン)/たばこと塩の博物館/東京象牙美術工芸協同組合「THE IVORY」

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